オカダ担が見る三宅健という男の魅力
「命をかけて守りたいものは健くん」
健くんのかわいさを世間にしらしめるのが僕の仕事です出典TVぴあ(2015)
ほかの後輩にカワイイねっていうけど、いちばんカワイイのは健ちゃんです。
出典オリ☆スタ(2015)
これまでアイドルにハマったことのなかった私は「色々ヤバい奴だとは薄々気付いていたんだけど、こいつはヤバい…!」と慄きました
アイドルってそういうもの、ファンが喜びそうな台詞を惜しみなく言ってくれる存在なんだよと言われればそれまでなんですが、同じコマにいるだけでお祭り騒ぎだった二次元オタは、他のメンバーに自ら愛を止めどもなく発信する三次元に計り知れないカルチャーショックを覚えました
そこで考察厨であった私は、ふと疑問に思ってしまったのです
『何故オカダは健ちゃんを可愛いというのだろうか』
そんなことを考えると瞬時に「それは健ちゃんが可愛いからです!証明終了!」という反応が三宅モンペであるもう一人の自分から返ってきました
いや待て、三宅モンペの私よ!世間一般の常識に照らし合わせてみれば、20年間付き合いのある年上のおじさん(36歳)におじさん(35歳)が言う台詞じゃないんだよ!確かに健ちゃんは可愛いけれども!
一般的に、年下の子に可愛いというのは変なことではないけれど、年上に可愛いということはやっぱり変なことだとされています
それにオカダ自身30歳を越えた人に可愛いとは言わないといった主旨のことを言っていました
それは、意識的でないにしても「可愛い」と言う行為が目下のものを愛でる行為だからです
にも関わらず、オカダは年上の健ちゃんをかわいいと何度も何度も繰り返し言う
ファンが言う「可愛い」は伝わらないと思っているから言える言葉であって、直接本人にはなかなか言えないと思います
だけど、オカダの発言はそうじゃない(健ちゃんは特にメンバーの活動よく見てるし)
健ちゃんがもしかしたら「生意気な!」なんて怒ってるかもしれないのに、オカダは健ちゃんにかわいいと言い続けている
『どうしてオカダは自分より年上のおじさんになった健ちゃんを「かわいい」と言い続けるのか?』
また、長年V6のファンをされている方や三宅坦にとっては周知の事実だと思いますが、健ちゃんはとても男らしく格好いい男性です
健ちゃんはどんな時でもファンが望む「可愛い健ちゃん」を絶えず提供してくれるプロのアイドルであり、反抗期だったオカダに「アイドルに誇りを持ってくれ」といった存在です
誇りを胸に仕事に生きる男の背中は文句なしに「格好いい」ではないでしょうか?
その背中を追い続けてきたオカダが言う「可愛い」を文字通りに受け取るのはどうしても違和感がありました
V6のメンバーといるとき、オカダは末っ子に戻り、他のメンバーを「お兄ちゃん」と呼びます
SONGSのトークではこんなに頭の上がらない現場はないとオカダは言っていました
やはり何年経っても、たとえ関係はフラットになっても、オカダにとって他のメンバーは格下に見る相手ではないのでしょう
『そんな健ちゃんのことを、オカダは「小さくて、弱いもの」として愛でているのだろうか?』
健ちゃんのキャラ作りへの協力?ビジネス可愛い?アイドルだからメンバーと仲良しアピール?
もちろん芸能界で活躍している人は皆虚像ということなので、これらが完全な不正解でもないと思います
しかし、それにしては健ちゃんをかわいいと愛でるオカダは愛が溢れすぎている
オカダの「健ちゃんかわいい」には単に小さくて、弱いものとして愛でる以外になんらかの意味があるように思えたのです
実は、ここまで意図的に2番目にかわいい博のことは述べずにきましたが、オカダが博のことを「かわいい」と言うのはなんとなく分かるんですね
オカダの博に対する振る舞いったら、メイク道具勝手に借りたり、顔鷲掴みしたり、お尻叩きまくったりして、そりゃひどい
とにかくオカダは博に懐いているというか、博に全力で甘えてる
オカダが博に「かわいい」と言うのは、おそらく甘えたいという感情に基づいたコミュニケーションの一環なんだと思います
しかし、健ちゃんとオカダの関係はもう少し複雑で、オカダは健ちゃんにこんな風に手放しで甘えてはいないと思います
三宅健くんは"ほっとけない人No.1"頻繁に連絡を取り合うわけではないけれど、ふとしたときに、"何してんのかなあ"って思う。健くんは人一倍いろんなことを考えているけど、ちょっと不器用で、それをうまく表に出せないタイプ。なんてことを、会うと感じたりするんだけど、僕は年下だし何をしてあげられるわけでなく。
出典 anan (2015)
おそらくオカダは愛されるよりも愛したいマジで派なんだろうな…
年下でなければ、もっと言えば健ちゃんが甘えてくれるなら、オカダは健ちゃんに何かしてあげたいと思ってるのでしょう
というか、三十路超えてるのにたかだか1、2歳の差で年上年下って拘ってるこの人たち本当に愛おしいね…
「健ちゃんかわいい」発言が甘えの表れでないのならば、一体なんなのか
あまりの健ちゃんの奇跡のおじさん具合に、オカダはいつの間にか自分が健ちゃんの年を追い越して健ちゃんより年上になってしまったのだと考えるようになったのでしょうか?
そんなトンチキな妄言まで飛び出てくるほど悶々と悩む日々
オカダにとって「かわいい」とは…健ちゃんとは…一体なんなんだ…
そんな悩ましい日々を送るなか、オカダの非常に気になる発言が!
「健くんはかわいい。でも、健くんが俺を好きなんだよぉ」と照れる岡田さん。「好きと、かわいいはちょっと違うんだよ笑。健くんはかわいいの。健くんが俺を好きなの。でも、プロファイリングするなら長野くん」とニコニコしながら、岡田さん。メンバー愛に溢れたコメントなのでした☆
出典 月刊テレビガイドTwitter(2015)
何言ってるんだ、こいつ…
とその時は思わずスマホを見つめながら真顔で口にしてしまいました
ですが、しばらく呆然としたあとに、ふと気付いたのです
我々の思う『可愛い』とオカダのいう『かわいい』とは少し意味がずれてるんじゃないかということを
何かを掴みかけていた私に、天啓はある日突然やって来ました
「あぶなくて見ちゃいられない。どうして先生はああなんだろうなあ!」と言うとき、悟空はそれを弱きものへの
憐愍 だと自惚 れているらしいが、実は、悟空の師に対する気持の中に、生き物のすべてがもつ・優者に対する本能的な畏敬 、美と貴さへの憧憬 がたぶんに加わっていることを、彼はみずから知らぬのである。
これ、オカダのことじゃね?!
これは中島敦の『悟浄歎異』の一節なんですが、西遊記の三蔵法師と悟空について述べています
力もあり才能あふれる悟空は、いつも妖怪に攫われたりする自分よりも弱い三蔵法師のことを、心の底では敬愛していると言うのです
私は慌てて前後の文章に目を通します
三蔵法師は、大きなものの中における自分の(あるいは人間の、あるいは生き物の)位置を――その哀れさと
貴 さとをハッキリ悟っておられる。しかも、その悲劇性に堪えてなお、正しく美しいものを勇敢に求めていかれる。確かにこれだ、我々になくて師に在 るものは。なるほど、我々は師よりも腕力がある。多少の変化の術も心得ている。しかし、いったん己 の位置の悲劇性を悟ったが最後、金輪際 、正しく美しい生活を真面目 に続けていくことができないに違いない。
理想を追求していくことは、とても大変です
自分の力が及ばなければ、その分更に努力しなければ望むものは手に入りません
届かないかもしれないと思うものに手を伸ばす怖さを多くの人が知っていると思います
届かないからと諦めてしまった経験がある人もいると思います
自分自身の弱さを自覚しながらも、それでも正しく美しいものを求めていく強さへの尊敬
これこそがオカダが健ちゃんに感じている感情ではないでしょうか
オカダは健ちゃんのことを繰り返しこう述べています
オレが人生で出会った人の中で、一番真面目で一番不器用な人だからね。
出典 TVLIFEPremium(2015)
オカダは健ちゃんの不器用なところを「かわいい」と言います
ですが、それは決して目下のものとして、小さくて弱いものとして、愛でているのではない
健ちゃんの持つ様々な弱さに必ずついてくる彼の不屈の精神と飽くなき向上心に対する賞賛を表しているのだと私は考えます
内なる貴さが
外 の弱さに包まれているところに、師父の魅力があるのだと、俺 は考える。
弱いだけじゃない、強いだけじゃない
その二つが表裏一体だからこそ、オカダや私たちファンが健ちゃんにここまで強く惹かれるのではないでしょうか
最後に、そんな賞賛を胸に秘めておくのではなく、事あるごとにオカダが口にする理由についての推察です
学校へ行こう2015の番宣スポットで、健ちゃんはこう主張していました
そして結局、俺が一番褒められたいーー!!
正解〜〜!!!
ようはこの台詞に集約されると思うんですが、健ちゃんは褒めてもらいたがりですよね
にこ健の連載や雑誌のインタビューでも、彼はいつも必ずファンの求める答えをくれます
切なくなるくらい健ちゃんはファンの目線でモノを考えファンに応えようとしてくれます
望まれる姿がある限り、健ちゃんはきっとそれに応え続けてくれるのだと思います
そんな健気な健ちゃんを隣で見続けてきたオカダが健ちゃんを少しでも満たしてあげたいと思うのもおかしいことではないはず!
けれど、残念ながら健ちゃんは「年上」だからオカダには甘えてくれない
それで、せめて自分にできることはと考えた結果が、あらゆる発言の機会にオカダにとって褒め言葉である「健ちゃんかわいい」をぶっこむことだったんじゃないかなぁ
頑張れオカダ、健ちゃんが振り向いてくれるその日まで!!
『三宅健という男は微かな満たされなさを纏っている。
それはふっと香る香水のようなもので、気にとめる間もないほど一瞬で消えるのに、無意識に強烈な印象を残す。
満たせないと分かっていても、埋めたくなる。そのやりきれない欠乏にどうしようもなく惹かれてしまう。』
実はブログを作ろうと思った直接の原因がこのポエムなのです
ひたすらオカダの証言から健ちゃんのことを考え続けて朝の4時
綴り終えた文章を前に、達成感とこんなポエムTwitterでは呟けないわという絶望感が私を襲いました
そして、このポエムを成仏させるためにこのブログは生まれました
とりとめのない文になってしまいましたが、書いてる間はとても楽しかったです
ニワカがここ最近の彼らの断片的な発言のみを元にして喚いているだけの文章ですので、トンチキなことを口走っているやもしれませんが、どうか暖かい目で見ていただけると幸いです