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おしりあつめたっていいじゃない

学生時代全力でスルーしていたジャニーズに今更ハマってビビっている社会人

『ビニールの城』を見て、感じ想ったこと


8/15昼公演に行ってきたぜ!『ビニールの城』!!
蜷川演出になるはずだった今回の舞台。残念ながら、あと一歩間に合わなかったけれど、お盆だしきっと客席から蜷川さんが見守っていたんじゃないかな。
演出の金守珍が語るように、唐十郎の世界を表す完璧なキャスティングのなかに蜷川幸雄が息づいている。

まるで白昼夢のような舞台だった。
実際の行動を演じているというよりは、思考の具現化としての演技という印象を受けた。

アングラの世界にこれまで触れたことがなかったので、そのような舞台はとても衝撃的だった。
V6を好きになって、彼らの個人のお仕事も見るようになって、自分の中になかった世界に飛び込むことが増えた。自分の世界がどんどん広がっていくのがとても面白い。

【作】唐十郎
【演出】金守珍
【監修】蜷川幸雄

なんて豪華な舞台なんだろう。こんな贅沢があっていいのか。私、『あの』ビニールの城を見てきたんだぜ。

この舞台で、まず一番はじめに衝撃的だったのは、お話しがわからないこと(笑)
「どんな舞台を見てきたの」と聞かれて起承転結が説明できない。事前に台本を読んではいたけど、その時もどんなストーリーなのかほとんど掴めなかった。

ただ、観劇してわかったのは、この舞台の面白味は台詞が持つリズムや音の美しさを楽しむことにあるということ。
目で、頭の中で台詞を追っていた時は上滑りしていった言葉が、実際の生身の人間が発する音になることで、すんなりと沁みた。観念を超えるリアルな現実に触れるというのは、劇のなかで視点を変えて述べられていたと思うけれど、この衝撃と感動は本当にすごい。

まず、感じた感激を忘れないうちに、なんの咀嚼もしないままの感想を残しておきたい。

朝顔の少年性にクラクラきた。
冒頭現れるのは、他者を受け入れられず、自己もまだ育っていない朝顔。唯一心の中に存在するのは、夕顔という自分の半身だけで、その夕顔と別れてしまった朝顔は、不安定で、孤独で、独りよがりで、まるで思春期の少年のようだ。その未完成さがたまらなく私を惹きつける。
朝顔はとても純粋で、自分の価値観を大切にしている人間なんだろう。劇の途中で、持論を語る朝顔の純粋ゆえの潔癖さ、強情さ、面倒くささがとてもよかった。
そんな朝顔が徐々に変わっていく、本来自分の中に芽生えていたものに気付いていく姿に心が震える。

モモは多面的な女性だった。
そんな彼女に本当終始振り回された。けど、それが快感なんだよ、あのひとに振り回されるなら本望ってくらい何故か魅了される。不思議だ。
処女のように純情で、娼婦の艶めかしさを持つ。子どもの無邪気さで人を傷つけ自分の感情に素直なのに、くたびれた大人のごとく厭世的で自分の幸せを掴もうと手を伸ばせない。
遠いところからきた女だから、ビニ本の中の空想の女だから、これほど魅力的に思えるんだろうか。

夕一の切なさは愛の残酷さからきていると思う。
モモに愛されたい夕一は、モモが求める姿に、つまり朝顔の半身である「夕ちゃん」になろうと懸命に努力する。それは、モモのために献身するようにも見えるけれど、やはり愛されたいというエゴだ。常軌を逸しているその姿は、それほどまでに愛されたいという切実な訴えで。なのに、夕一はモモには愛されない。
朝顔が現れたことで、モモに愛されないという現実の中に生きなければならなくなった夕一は、ある意味一番地に足がついているキャラクターだった気がする。

ひとまず感じたままの感想はこんな感じ。
人生の歯車がうまくかみ合わない、もどかしい現実が描かれていた印象。そのもどかしさがリアルなんだけど、それを詩のような抽象的な演出で表現されていることが、また面白かった。

話は変わって、ナマの俳優さんの話。
私が朝顔にここまで少年性を感じたのは、ひとえに朝顔森田剛が演じていたからだと声を大にして言いたい。
サイズ感や声色も大いに影響していると思うんだけど、なによりその全身から漂っている疎外感がすごくいい!パンフレットで宮沢りえも言っていたけれど、その美しい陰が朝顔の少年らしい儚さをひときわ際立たせていている。
あと高めで甘い声が連日の舞台からかすこし枯れてて、そのアンバランスさがそのまま朝顔の中の少年と大人のアンバランスさに繋がっていて、とてもよかった。
この役を、少年や青年の域を出ない俳優が演じれば、ここまでの危うさは出せなかったと思う。朝顔は少年性を抱いている大人だからこそのアンバランスさを持つキャラだ。まだ若い俳優なら少年側に振り切ってしまって危うさがでない。それじゃ駄目なんだ!「成長していない」ことが肝なんだから。身贔屓かもしれないけれど、森田剛だからこそ演じられた朝顔だったと思う。

宮沢りえのモモは怪演だった。
モモの持つ多面性を破たんさせずに一人の人物として演じきった姿は鳥肌ものだ。声や顔や体つきなど、表面はどこまでも透明感のある少女なのに、仕草など醸し出す雰囲気が妖艶で。そのギャップは、その深みは宮沢りえにしか出せないんだろうなとため息。ビニールの中に帰っていく宮沢りえは、世間の荒波に翻弄される家出少女のような無力さと汚される清らかさがあって、けれどしな垂れながらポーズをとるあの爛れた色気はなんなんだろう。本当なんなんだろう。宮沢りえにだったら喜んで振り回されたい。

荒川良々が演じる夕一はこちらの先入観を気持ちよく裏切ってくれた。
コミカルな見た目な荒川良々だからこそ、夕一が言う台詞がより現実的に際立って響いたんだと思う。道化のポジジョンにいるようで、ひとつひとつを切り取れば思わず笑ってしまうシーンが数多くあったけれど、ふいに発せられる覚めた台詞が切ない。そういう意味でも夕一は真理をつく道化なのかもしれない。荒川良々の人畜無害っぽいフォルムなのに、ハイライトが入ってない感じの目っていう一点だけ滲むが暗さがいいね。ぴったり。

物語やメッセージについてはわからないことだらけ。
夕顔とはどんな存在だったのか。モモはなぜ朝顔のもとから去ったのか。水と相性になるとはどういうことか。ビニールの城とはなんのか。引田や河合は何者だったのか。腹話術師の三人組とは、民衆とは、諸君とは。
数々の疑問についてはまた少しずつ考えていくことにして。

頭の中で描く世界は無限で理想も描けるけれど、ナマの、現実の存在にはそれを覆すだけのエネルギーがあるんだなと、物語からも、演者からも感じた舞台だった。いやー、面白かった。


【ほとんど自信のない覚書】

放心状態だったから、本当に本当に自信がないけど

カーテンコールは4回半?

全員、全員、全員(宮沢が夕顔を抱きながら)、メイン3人、森田が1人で下手で軽くお辞儀


観劇

笠井アナは見た、須賀健太くんもいた模様