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おしりあつめたっていいじゃない

学生時代全力でスルーしていたジャニーズに今更ハマってビビっている社会人

【ヒメアノ~ルネタバレ】ラストシーンは救いだったのか【みんな映画館に行こう!】

 

映画『ヒメアノール』を見てきました!
オススメとは決して言えない!けど、何がなんでも皆に見てもらいたい!!
そんな映画でした。
 
元々私はグロ系エロ系を見ない人なんで基準が分からないんですが、これは高校生が見ていい映画なのか?R15ってことだけど、トラウマになりそうな殺人シーンいっぱいあったし、なかなかウフンアハンな場面もあったよ?そんなもん?笑
 
事前情報で、かなりショッキングな映画とあちこちで言われていたので、ビビりの私は原作を読み映画のネタバレに数多く目を通してから、映画に挑みました。その上で思ったこととしては、事前知識として
・(怖いのがダメな人は)どんな過激なシーンがあるかはチェックする
・原作の内容は把握する
・映画のストーリーのネタバレは避ける
こんな感じで見に行くと1番ストレスなく映画を見れるかなと思いました。
 
ちょっと怖いけど気になるしこれから見ようかな!という方にまずお伝えしたいこと!
(私のようにビビりでグロエロ耐性ない方向きのネタバレ)
 
とにかく、人が死にます。
それも吐き気を催すレベルでリアルに死にます。血がドバドバ出るとか内臓むき出しとかは、そこまでないんだけど(ないことはない)、殺される人の痙攣の仕方が人っていうより動物っぽくて気持ち悪くて仕方なかった。
あとシモい。しかもゲスい。
軽くネタバレをすると自慰、失禁、生理表現があります。あとは普通に致してるし、おっぱい出てたよ。
 
なんというか、ひたすらリアル。通り魔に襲われた時、レイプされる時、きっとこんな感じなんだろうなって思った。
再現ドラマなら、刺された瞬間血がドバッと出てウッとか言っちゃってガクッと意識を失って死亡だけど、人ってそんな一瞬で死にませんよと苦しみながら死んでいくんですよと横っ面を引っ叩かれた印象。
映画の中では女性が多く襲われるんですが、パンツ脱がせて足開かせる攻防とか、血のついたナプキンに顔を顰めるその表情とか、キャーキャー言ってた女の子が顔殴られて「ゔぐぅ」と呻くところとか、身の毛がよだつ気持ち悪さ。
 
この辺りが、人にオススメって口に出せない要因。表現があまりにリアルで、生理的に受け付けないシーンがたくさんありました。
けどね!!それを乗り越えて、度々タオルで顔を隠しながらも、この映画を最後まで見てほしい!!最後の3分に胸を締め付けられ、エンドロールの音楽に思いっきり泣かされてほしい!!あのエンドロールは卑怯だ。
 
さて、ここからは更に内容に踏み込んだ話をしていきます。
 
まず語りたいのが、原作のすごさ!
映画の話じゃないのかって感じですが、この映画が漫画の実写化である以上原作の話題は避けて通れないです。なによりこの映画は圧倒的な原作「漫画」に対して真っ向から立ち向かった実写化「映画」だと思います。まるで強靭な相手に闘いを挑んでいくジャンプの主人公のようです。相手が強ければ強いほど、その闘いに興奮し、魅力される。原作の漫画の質がすごければすごいほど、実写化のハードルも上がるしそれに応えられたときの衝撃もすごい。エンターテイメントとしてのこの映画の魅力についてはまたあとで語るとして、まずは原作の魅力について知ってもらいたい。
 
語りたいと言いつつ、原作ファンであらせられる『進撃の巨人』の諫山先生がご自身のブログでとても分かりやすく原作の魅力について語ってくださっているので、その部分を引用させていただきます。
 
.
..何故、僕が原作漫画ヒメアノ~ルが
生涯ベストかと申しますと、この漫画のテーマが
反社会性人格障害者の悲哀」を描いた作品だからです

快楽殺人鬼の森田は人の首を絞めて殺す
ことにしか生きる意欲が待てない人間です

彼は何故そんなサイコキラーなのかは?
原作では「先天的なもの」として描かれています
つまり生まれた時から彼はそういう人間だと決まっていたのです
 
(中略)
 
人それぞれ顔の形が違うように、脳の形もそれぞれ違う
その脳の造形が性格や趣味趣向に影響するのなら
それは身体的特徴の一部ではないでしょうか

近代的な社会はそういった人それぞれの違いを理解し合い
助け合うことを理想としています

しかし、森田のような快楽殺人鬼に近代社会が
差し伸べる手はあるのでしょうか?
 
(中略)
 
いや、僕は偶然にも快楽殺人鬼ではありませんでしたけど
人との違いに悩んだことがある人ならそれが快楽殺人じゃなくても
理解できる部分もあるんじゃないでしょうか

「別に俺が選んでこうなったわじゃないんだけどね」
っていう生まれ持った性についてです

この世で最も、誰も同情し得ない最低のクズ野郎に
古谷先生だけは空也上人像のように寄り添ったのです
 

 

完璧な情報量で映画『ヒメアノール』について語っておられるので、ぜひ全文にも目を通していただきたい。諫山先生のブログのリンクを貼っておきますね!
他人とは違う自分、そしてそんな自分は社会には受け入れられないということに気付いてしまったときの絶望。変えようのない性質のために自分は幸せになれないという悲しみを描き切った古谷先生は本当にすごいです。
 
さて、布教という観点から見ると諌山先生の記事の紹介をしたところで私の仕事は終わったって感じですが笑。
もし、未視聴の方でここまで拙文を読んでいただき「ヒメアノ〜ル見たい!」と思われた方がいらっしゃいましたら、ここでそっとページを閉じその足で映画館に向かってください!
余裕がある人は原作を読んでから映画館に向かわれることをオススメします。
 
さて、私が語りたいだけなのでまだまだこの文章は続きますよ!
 
この映画のすごいところは、漫画の実写化という映画作品としての質の高さにあります。
 
実は先ほど挙げられていた「反社会性人格障害者の悲哀」という原作のテーマは、映画ではほとんど描かれていません。
事前にそれを知ったときは、正直なところ「はぁ?結局この映画も原作レイプかよ!ふざけんな!」と思いました。そして、映画を見て、そう思ったことを深く陳謝したくなりました。
 
雑誌やパンフレットのインタビューで、監督はあえてその部分を描かなかったと語っています。
 
以下、パンフレットからの引用です。
 
原作では森田の内面部分をかなり描いているのですが、それは映画的ではないと思ったし、それを中途半端に語ってしまうと、殺人犯を擁護してしまうものになってしまう恐れもある。
(中略)
原作との大きな違いは、森田を突き放して、ある程度の距離感をとったことです。
 

  

この「映画的ではない」という点が肝です。
原作である漫画『ヒメアノール』では、「森田くん」の内面がとても丁寧にたくさんのモノローグを使って描かれています。
ですが、もし漫画の表現に合わせてナレーションばかりの映画にしたら、漫画と同じ印象を受けるかといえばNOです。主演がブツブツ言ってるだけの映像に面白みはないと思います。
違う媒体になったからこそ、描けない表現・映える演出が変わってくる。そのことを強く意識されて、違う媒体であることを上手く活用された作品だったと感じました。
 
映画ならではの演出で、思わず唸ったのが「岡田くん」と「ユカちゃん」のセックスシーンと「森田くん」の殺人シーンを交互に描いたシーン。
あの演出は映画好きとしては、ありえないほどテンションが上がりました。
セックスと殺人という軸のそれぞれ対極にあるような行為が、まるで一続きの出来事であるかのような錯覚に陥ります。覆い被さる男と喘ぐ女。同じようなカメラワークと同じように上がる甲高い喘ぎ声。あの矢継ぎ早な場面展開は映画だからこそ映える演出だったと思います。
あのシーンを見るためだけに映画館に行くほどの価値があります。クッソ最低で最高です!!
 
あと、中盤で出てくるタイトルとそのサントラのセンスの良さといったら!!!すっげぇいいとしか言いようがない!!!音楽が始まるタイミングも終わるタイミングも完璧。 あそこは邦画っていうより洋画なイメージがあるな。私が受けた印象は画面の暗さからかゴットファーザーだったんだけど類似点があったかどうかは記憶にない。とりあえず、どっちの映画も格好いいってことだけは確かです。本当感覚的な話ですいません。
 
また、脚本を原作から大きく変えたからと言って、全く違う話になってしまったのかと言えば、それも違う。
この脚本のすごいと思ったところが、この映画では、映画しか知らない人が理解する話の筋と、原作を知っている人が理解できる話の筋の2つが存在し、それがほぼ違和感なく成立している点です。
 
映画しか知らない人は、この物語を「いじめによって快楽殺人者へと変貌した悲しい男の話」と理解されたと思います。しかし、原作を知っている私は「反社会性人格障害者の悲哀」を読み取る『余地』があると感じました。
 
確かに原作に対して映画では、圧倒的に「森田くん」の心理描写が少なく、言葉として原作の彼が抱く悲しみは表現されていません。
ですが、だからと言ってそのテーマがなかったことにされた訳でもない。むしろ徹底的に「森田くん」の内面を描かないことで、見る人がそれぞれ解釈できる構成になっているなと思いました。
 
印象的なのが、終盤に唯一ある「森田くん」のモノローグ。
「死ねっつってんだろ…!!!」
「ブッ殺せ!!!」
頭の中をそんな幻聴のような「森田くん」の台詞が撒き散らされるこのシーン。(ところで、その言葉を頭から取り除こうとするがごとく鬱陶しそうにこめかみを小突いている森田剛の演技最高です)
この台詞、映画だけ見れば両方とも他者に向けた台詞に思えるのですが、原作の「森田くん」を考慮すると、まるで頭の中に語りかけてくる天使と悪魔の掛け合いのように、1つ目は「森田くん」自身に対する台詞、2つ目が他者に対する台詞とも解釈できます。
 
また、ラスト直前に「岡田くん」から「昔はそんなんじゃなかったのに」と話しかけられるシーン、「森田くん」は一言も返しません。
仮にここで「お前らのせいだ!」みたいな台詞があればそれは物語の本質の改変になりますが、無言を通すことで様々な解釈の余地が生まれています。
 
確かに原作のトレースという意味ではいじめの詳細なエピソードは余分であったと言えます。
ですが、映画しか見ない、普通の人に対する対応としてはあれらのエピソードは必要だったし、その挿入の仕方も原作の内容の息の根を止めない配慮はされていたと思います。
 
まぁ、欲を言うなら映画でも映画なりの表現で「森田くん」の業を描いてほしかったですけどね。
普通に納得ができる理由がある社会のはみ出し者の苦悩は想像ができてしまって、原作が想像し切れない苦悩を描いていた分、ちょっと残念だとは思ってしまいました。
原作の「森田くん」は「誰にも理解されない」と悩んでいる人に寄り添えるキャラクターであったと思います。
 
さらに映画における「森田くん」は漫画よりもより普通とされる人の感覚に寄せられていた印象を持ちました。
その一つが、「森田くん」の「岡田くん」に対する殺意です。
 
映画の中で能動的な殺意を向けられたのは、いじめっ子の河島、レイプされた女性たち、そして「岡田くん」です。
その他の男性たちは殺人を続けるために邪魔になるから殺しただけの受動的な殺意だったと思います。(最後の車の運転手さんは本当同情する。車の鍵はちゃんとかけましょう)
 
映画の改変で驚いた点の一つに「森田くん」と「岡田くん」の飲みがあります。
原作の関係性が先に頭に入っていた身としましては、え、そこそんな普通に一緒にご飯しちゃうんだ!と改めてその絵面にびっくりしました。
その飲みで「森田くん」は「岡田くん」に「俺もお前も」と同じ底辺同士、仲間であるとも取れる言葉を口にします。
そしてそんな風に仲良く?食事をしたにも関わらず、予告でも使われていた「高校のときにさ岡田ってやついただろ?そいつをさ今から殺して山に埋めようと思うんだけど」という発言をする「森田くん」
 
仲間とも言える相手に殺意を向けるようになるまでに何があったのか。
その2つのエピソードの間にある出来事が何を隠そう「岡田くん」の初夜です。
 
映画で「森田くん」と「岡田くん」が部屋で対峙するとき、「岡田くん」は過去に「森田くん」を見捨てたことを謝ります。しかし、それを覚えていない「森田くん」。そのことが強がりでないのなら、「森田くん」が「岡田くん」を意識的に殺そうとした理由が他にあるのなら、私は「森田くん」を置いて1人だけ真っ当な幸せを掴もうとしている「岡田くん」に裏切られたという意識ではないかと思いました。
強者にやられるのは耐えられても、弱者が弱者でなくなることは許せなかったのかもと映画の「森田くん」に切ない思いを馳せました。
 
映画の改変でよかったな!と思ったのが、「岡田くん」が「ユカちゃん」にこれまでの経験人数聞いて拗ねちゃう器の小さなところとか、「ユカちゃん」が可愛い天使なだけじゃないむしろちょっと頭と貞操観念が緩い感じの小悪魔になってるところです。登場人物が皆なにかしら弱者である描写がすごくよかった。
弱者だからこそ、選択の幅が狭くて周りに振り回されるしかないし、だからこそ他人を出し抜くようなズルい行動に出れる。漫画よりもより強調されたキャラが映画という舞台では丁度いい。
 
そして実写化の醍醐味は演者の演技にあると言って過言ではありません。
森田剛はまさに三次元における「森田正一」そのものでした。「森田くん」がそこにいた。
もう怖いのなんのって。漫画読んだときは別に夜道も怖くなかったし、道で人とすれ違うのもなんとも思わなかった。なのに、映画を見たあとは、自分の背後に「森田くん」がいるんじゃないか、すれ違った人の中に「森田くん」はいなかったか刺されはしないか、そんなことあるわけないと思いながらも心のどこかで本気で怖がっている自分がいました。それも、森田剛が三次元に「森田くん」を連れてきちゃったからですよ。
 
99分間、一秒たりともきらびやかな森田剛はスクリーンにはいなくて、最後の瞬間まで「森田くん」でした。
たびたびパンツ姿になるためひょろっとした森田剛のおみあしを拝見しましたが、絶妙に肉がついていなくて絶妙に弱そうでいい!!まさに「森田くん」!!最高!!ナイスキャスティング!!
殺人シーンはグロ系がダメな私は見れていないので、どんな表情どんな演技だったかは知らないんですが、少なくとも街をうろついている様は非常に頼りなく惨めで弱者っぽくてよかったです。(褒めてます)
イラついて壁に肩とか頭とか叩き付けてるシーンはゾクゾクしました。あの衝動を抑えられない自分の感情に振り回されてる感じ!漫喫出た後の幻聴に悩まされてるシーンもよかった。他にも警察官がやってくる一連の場面も最高でしたね。他人のぶかぶかのパジャマ着てて普通の包丁をズボンに忍ばせて対応しに行くところとか、警察官に対してなんとも言えない頭の弱そうな表情をしてひょうひょうと受け答えしてるところとか、 演技だと認識できず本当にそんな人がそこにいるんだと思ってみていたと思います。てか、演技って意識してなかった。だってそこにいるのは「森田くん」じゃないですか(真顔)
そして、最後「岡田くん」に話しかけるシーン。感情が追い付かなくて、半ば放心状態で見てた。絶対そんな訳ないんだけど、そのシーン私の中で森田剛に後光が差しててすごく眩しかったんです。あのときの森田剛がどんな表情をしていたのかちゃんと確認したくてもう一度劇場に足を運びたい。
これからしばらく剛くんがぼーっとしてるところ見たら絶対反射的にビビってしまう自信がある。アイドルとして表に出てくるときは積極的に笑顔でいてほしい。お願いいたします。
 
そして、他の出演者の方々のリアリティったら、もう最高でしかなかった!
濱田岳くんの童貞臭さ!!完璧!!100点!!佐津川愛美ちゃんの小悪魔的可愛さも完璧!!20000000点!!駅で待ち合わせしてるシーンとかベッドシーンとか2人セットでめちゃんこ可愛かった!!マスコット的可愛さが溢れていた…!
ムロさんの奇声をあげるシーン、2ヶ所ありましたけど、どっちも映画館で声出して笑いました。何度見ても絶対笑っちゃうと思う。というかムロさん見るだけで笑っちゃうわ。
 
では、最後にこの記事のタイトルにもした「ラストシーンは救いだったのか」について語っていきます。
前提として、ここでは映画の「森田くん」も反社会性人格障害者であったと仮定します。
 
エンドロールとともに流れる場違いなまでに幸せそうな曲を聞きながら、私は「森田くん」の残酷な運命を思って泣きました。どうしたら彼は幸せになれたのだろうという思いで頭がいっぱいでした。
 
お互い高校に入って最初の友達だった「森田くん」と「岡田くん」
初夏の陽気の中で、友人とゲームをし、母親に麦茶を持ってきてと声をかける「森田くん」は穏やかな幸せの中にいます。
それは社会から強烈な疎外感を感じ、そんなクソッタレな人生の最後にと今まで必死に我慢していた欲望を解放するやけっぱちの「森田くん」の紛れもない過去で、この世界では幸せになれないと絶望した「森田くん」の人生に存在した確かに幸せな時間でした。
 
あの時間が、「森田くん」の疎外感や満たされなさを、たとえ誤魔化しであったとしても、忘れさせてくれる時間だったのではないか。そのまま誤魔化しの幸せに浸って生きていけたら「森田くん」も衝動を抑え続けることが出来たのかなと思わず夢想してしまいます。
残念ながら、それは叶いませんでしたが。これまでの悲惨な映画の話を思い返せば、失われてしまった幸せな過去はあまりに残酷なコントラストでしかなかったですけど。あんな過去があったのにもかかわらず、後は死にゆくだけの哀れな未来しか残されていない「森田くん」を思いエンドロール見ながらめっちゃ泣きましたよ。
 
頭を強く打った影響なのか、唐突に甦った「森田くん」の仮初めの幸せな時間。
彼を待ち受けている暗い未来が閉じるまで、彼の死刑が執行されるまで、その仮初めの幸せが彼の中だけでも続くことを願ってやみません。
こんなにも彼の不幸が悲しいのは、きっと私を含め多くの人が他人と違う自分に戸惑い、時に疎外感を感じたことがあるからだと思います。「森田くん」は多かれ少なかれ誰しもが自分自身を投影してしまう存在なんでしょうね。
 
ヒメアノ~ル、めちゃめちゃ怖いんだけどもう一回見に行きたい。
ジェットコースターに近い面白さがある。前半ワクワクして見てタイトル出たときに絶対見に来たこと後悔するんだけど、また見たくなる病みつきになる面白さなんだよぉ〜!!
 
ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました!語り足りないような気もするし、話しすぎた気もしますが、とりあえずは言いたいこと全部言ってとてもすっきりしました!ちょっとした論文並みの結構な長文になり自分でも引いてます!半日で書き上げたとは思えない分量笑 それだけヒメアノ~ルという作品は熱量を持っている作品なんだとじみじみ噛みしめています。
 
ヒメアノ〜ル」本当すっごい映画でしたね!本当すっごい映画ですね!!