戸惑いの惑星に戸惑ってしてやられた話
ネタバレ満載です!ご注意ください!!
名前の表記ブレはわざとですが、文体とテンションのブレは事故です。ご了承ください。
この舞台は事前情報なしで観て下さい!!!という先人の助言には感謝の念しかない。なんてたって初見の衝撃は、その人生でたった1回しか味わえないのだから!
この舞台の醍醐味は「戸惑う」ことにあると思う。もし、事前情報を入れてしまうとストーリーを客観視してしまい、舞台上で戸惑う登場人物たちと見る人の意識が解離してしまう、そんな気がした。これは、ちゃんと真っ新な状態で、舞台上の彼らの戸惑いを見る人自身の五感で感じてほしい、そんな舞台だった。
まず、『戸惑いの惑星』で私たちが戸惑う要素の一つとして、物語の複雑な構造をあげたい。
現実と劇と劇中劇の世界が入り乱れる構造だからこそ、見ている私たちは一体何を見ているのか分からなくなる。
目の前にいる3人の男性は、トニセンの坂本くんと長野くんと井ノ原くんだ。だが私は彼らを三池と由理と長谷川だと認識している。そして、三池と由理と長谷川としか思えない長谷川の小説の登場人物たち。
井ノ原くんが長谷川になって、長野くんが由理になって、坂本くんが三池になって、なのに彼らはいつの間にか長谷川の小説の中の登場人物になってる。さっきまで語られていたエピソードは誰のもの?
彼らの戸惑いと見ている私の戸惑いが一致する。この共有感は生の舞台ならではのものだと思った。
その戸惑いに気付いた瞬間が最高に心地いい。気付いたあとも、その戸惑いに振り回されるのがまた快感だった。彼らは実在する存在なのか、虚構の存在なのか。その疑問すら戸惑いの素なのが面白い。長谷川が書いた小説の登場人物は虚構だし、舞台上の三池由理長谷川も虚構だし、もしかしたらアイドル坂本長野井ノ原もファンが作り上げた虚構と言えるのかもしれない。ジェットコースターのように、存在とは?そんな疑問に振り回される2時間だった。
次に私たちを惑わすのが、見果てぬ夢との向き合い方だ。
物語の中では夢に酔えなくなっている3人の男が惑いに惑っていた。描きたい絵を誰にも求めてもらえない三池、最早廃れた学問として研究が見向きもされない由理、持ち込んだ小説が127本ボツになった長谷川。そして叶わぬ夢を追いかけることに疲れ、彼らはついには夢を諦めていく。
このまま夢は夢と諦めるしかないのか、救いはないのか。舞台の上の彼らが幸せになれることを祈りながら、私は物語を見つめていた。
1番分かりやすく救われたのが三池だと思う。自分が描きたいと思って描いた愛する人の絵は、ちゃんと求められていたし、長谷川もラストで三池が描きたいと思って描いた絵を大事そうに抱えていた。認証欲求が満たされた感じ。よかったね。
他者の認証を得た三池と異なり、由理は自分の意思で再び夢と向き合うことを決意した。強い。無意識下で強く信じればそれは現実になるって、例え知識としては持っていただろう言葉でも、それを自分の信念にできる由理はすごい。強い。(2回目)
確信が持てないのが、長谷川だ。他者と自分の境が曖昧になっていると分かっていながら、それでも手紙の代行を止められなかった長谷川。自我を失うと分かっていても文章を書くことを止められなかったなんて狂気すら感じる執念だ。そんな執念の末、長谷川はほとんど自我を失い眠り続けるまでになった。意識が曖昧なものになったことで、無意識の中で長谷川は信じられないような小説を書く。
ここからは完全に純度100%の私の解釈でしかないのだが、「これは果たして小説なのか?」「手紙の代筆が向いている」と言われた長谷川の書く文章は、自分の思いを反映したものというよりは、他者の思いを映すようなものだったのではないか。他者を見ている「観察者」であり、かつ気持ちを伝える「代弁者」であることが長谷川の自我だった。しかし、手紙の代筆は「観察者」である長谷川は必要ない。そうして長谷川の身体は他者が通り過ぎるだけの存在となっていった。だが、ラストの病室のシーンで長谷川は「2人のことはよく分かる」と発言する。これは「三池や由理のことを認識しているという長谷川の自我」が明確に存在することを表しているのではないか。無意識下で小説を書くことで長谷川を長谷川たらしめる「観察者」が再び長谷川の中で構築され、自我が甦ったのではないかと考えた。三池の絵を見て「これは僕だ」と言った長谷川の言葉を自我が戻ってきた証だと思いたい。自我を保つためという建前を手に入れた長谷川には、これからも小説を書いていってほしい。
物語の内容としては、「集合的無意識」と「運命」と「自我」がキーワードなのかなぁと。ちょっと場面転換が多くて話についていくので必死だったから、どういう意図だったのか確信はないけど。
物語の点と点をつなぐ役割の彼女については、「上手いこと繋げたなぁ!」とクロスワードが完成したときの感動に似た感情を抱いた。すいません、坂本くん長野くん井ノ原くんに思われる女性なんて羨ましすぎるポジション、どう逆立ちしても自分に投影できなかったので結構他人事な感想しか持てなかった。残念。
物語の役と現実の彼らをオーバーラップすると、長谷川の小説として3人が繋がっているのが表されていたようにトニセンの3人も自我の下の無意識の層で強く繋がってる気がする。私の中で集合的無意識って大海のイメージで、一つの海だけど、場所によってそれぞれの海はそれぞれの別の存在。けれど、トニセンの海はきっと海流で繋がってる。縁ある存在な気がしてならない。繋がってるからこそ、それぞれが運命を掴み取る瞬間、そのまま強く繋がっていられるような道を選択してきた。この舞台を思い返していると、そんな思いにかられる。
また、その運命の切り開き方が、由理は自分を強く信じること、三池は他者に認めてもらって背中を押してもらうこと、長谷川は失いかけていた自我を取り戻すこと、といった形になっていて、もはやその流れはズルい。トニセンのこれまでの転機となったエピソードが脳裏を過る。
自分の中で自分より他者が主役になる瞬間があるとパンフレットで井ノ原くんがそんな風に語っているけど、なにそれ怖い。けれど、話を盛ってるときそこには話を代弁しているだけの存在ではなく確実にオリジナリティを加えている井ノ原快彦が存在している。長谷川が自分たちをモデルにした虚構を自作の小説として創ることで救われたように、6人の真ん中で話を盛りに盛ってふざけ虫になることが、井ノ原くんの救いになっててほしいと願わずにはいられない。
今回は井ノ原快彦の危うさが主軸の物語だったように思える。もしTTTがこれからも続いていくのなら、次は長野博の強さについて語る物語が見たい。そして、その次は坂本昌行の弱さかな。
ではここで発表します!今回のTTTの個人的MVPは井ノ原快彦さんでした!!!
もうね、ずるいわ。最初から最後まで惑わされっぱなしだったわ。
白状すると、私これまで、井ノ原さんは「イノッチ」しか演じられないと思っていた。私が見たことのある井ノ原さんが演じる役が「いい人」だけだったからだ。さらに普段目にする井ノ原さんは、元気で気の利く「いい人」で、いつだって井ノ原さんは「イノッチ」だった。だから、人前に出るときは井ノ原さんは無意識のうちに「イノッチ」になってしまうのだろうと思っていた。
だが、特に教授を演じているところで1番顕著だったんだけれども、そこにいるのは井ノ原快彦でも「イノッチ」でもなく、紛れもなく由理と同じ分野でうだつの上がらない研究をしている老教授だった。驚くほど井ノ原快彦の影がそこにはなかった。それは私にとってひどい衝撃だった。
好きな俳優さんの条件が「色んな人格を演じ分けられる人」である私としては、俳優井ノ原さんがこんなに井ノ原快彦を消した演技ができると思っていなかったので、100カラットのダイヤモンドを発掘した気分。なんで今まで見つけられなかったんだと自分が信じられない。
井ノ原さんには、テンション低めの厭世的な役をもっと振ってあげてほしい。演技力の持ち腐れだ!もったいない、もったいない!
井ノ原さんが井ノ原快彦を消した演技ができる人なんだという前提を持って彼の演技を見ると印象が180°変わる。
当て書きだという事前情報のために、否が応でも長谷川幸彦=井ノ原快彦として見てしまう自分がいた。
記憶が曖昧になりかけの三池や由理に気を使う姿、先生に小説家に向いているといわれたときの姿、ボツが続いてもカラ元気で前向きの仮面をつけているような姿。どれもが、ファンになってからよく見聞きこれまでの「イノッチ」の姿にダブる。
つまり、今私の目の前にいるのは意識的に「イノッチ」を演じている井ノ原快彦ということだ。本人が意識して「イノッチ」を演じているという姿に物凄い興奮を覚えた訳で。彼は無意識に「イノッチ」を演じているのではない、いかなるときも「そう」あろうとして意識して「イノッチ」を演じているんだ!と感じた瞬間、その狂気的なまでの努力にみぞみぞした。伝わるだろうか、私の興奮が!
もちろん「イノッチ」が100%虚像だと言いたい訳ではなく、本来彼が持っている要素を選んで表に出しているって感じなんだろうけど。必要なときに、必要な仮面を、意識的に被れる人なんだろうなという思いを強くした。
「いい人」を意識的にやっているという発見は、裏を返せば、これまでも井ノ原さんが書く文章を目にして偶に感じていたエスプリ効いてるちょっと歪んだ人格が仮面の下に隠されているということの発見と同じだと思っている。今回彼にちゃんと出会えた気がして、物語とも演技とも関係ないところで、テンションがだだ上がりだった。
思わぬ伏兵のギャップにやられてMVPは逃しましたが、今回私の見にいったお目当は坂本昌行なのだよ!
もうね、輝いてた。キラッキラッキラッキラッ。
舞台の上こそ彼の生きる場所だってことがダイレクトに伝わってきた。すごく楽しそうに息をしてる感じ。
坂本さんは華があるね。舞台の上では、どんな役をしてても隠し切れない華が。うだつの上がらない売れない画家をしていても、ふっと香る花の匂いのように、圧倒的な存在感がにじみ出てしまって、観客は彼を無視できない。観客の目を思わず引いてしまう魅力が坂本さんにはある。
今回の物語の主軸は長谷川だったけれど、長谷川の小説の主人公は三池だと思う。そりゃ、あんなドラマティックな人を目にしたら、私でも彼を主人公に小説を書きたくなる。三池にしろ坂本くんにしろ、それほどまでに主人公オーラを持っている。
(ギャグパート、ヤンキーマサは別枠。舎弟感満載のマサすげぇよかった!絶対トップには上り詰められない感じがいいね!きっと兄貴のためにムショに入ることも厭わないレベルの舎弟だね!)
というか、語弊を与えるかもしれないけれど、坂本さんはヒモとか似合いそうだね?圧倒的に華というか、もっというと色気が香ってるんだけど、どこか浮き草のような掴めない感じ?ふらっと家からいなくなりそう。俺がお前を一生守るよとか言ってくれなさそう。言ってくれるかもしれないけど、実行されるか不安な感じ。(その点私の自担オカダくんは、俺が一生お前を守るって言って彼女を家に閉じ込めてたい感じ笑)
『sing!』と共に彼女の思い出を語る三池の横には、はっきりと彼女の姿が見えた。それほどまでに愛しい人を見つめる三池の柔らかい視線は本物だった。そこには坂本さんではなく、三池がいたのだ。愛を歌とダンスで語る坂本さん最高だな?!?
映像での演技に慣れていて、舞台の演技は少し大げさに思えてしまう私だが、歌と共に愛を語る坂本さんの演技にはこれしかない!!!という思いだ。彼の渾身のミュージカルを見てみたい。もちろんラブロマンスでお願いします。坂本さんには愛に生きる男が似合う。
長野博は生に限る。
もうね、びっくりした!余計なものを通さずダイレクトに見た長野博、めっちゃ格好良かった。めっちゃ格好良かった。そんな端整な顔でいいの?ってくらい整ってた。びっくりしたんだよ!バイク乗って迎えに来てほしい。後ろ乗る?って微笑んでほしい!はい!乗ります!!!長野くんバイク好きでいてくれてありがとう!!めっちゃ似合います!!
「人生は悲劇ですか?喜劇ですか?」って教授に聞いてた長野さんめっちゃよかった。もう語彙が死んじゃうくらい最高だった。あの困ってる感じめちゃめちゃいい。メンバーが「なーがーのくーん!!」って責めたてる気持ちよく分かった。長野博は困らせたい。狼狽えるんじゃなくて、困っててほしい。
あとね、マダムすごかった。ただの女優さんだった。なんだろう、あのしっくりきすぎて、逆にあれ?あれ女装だよね?なんで違和感ないの?っていう謎の戸惑い。長野くんのしなやかさが存分に生かされた配役。
今回はギャグパートだったけど、いつか長野くんには真剣にニューハーフの役をしてほしい。長野博の渾身の女性が見てみたい。それで、悪い暴漢に襲われたときに一発でそいつをのしてほしい。なんていう要望なんだ!支離滅裂だ!だけど、いいと思うんだ!!
あと、曲の入り方が素晴らしい!!
ミュージカルというよりはテーマソングって感じ。
よくぞここまで物語とマッチする曲が世界に存在していたなって感動した!当然、出来方としては逆の流れなんだろうけど。そんな風に思っちゃうくらい、挿入歌としてトニセンの曲が話とマッチしてた。
すごく面白い舞台だった。
見事に戸惑った。演じているトニセンのことを観客が知っているからこそ、そのイメージがいい意味で登場人物への理解に影響して、劇と劇中劇の入れ替わり以上の混乱が生まれたのだと思う。
歌の挿入もそうで、原曲を知っているからこそ、元々のイメージを全然予測もしていなかった方向に壊してくれたのが、快感だった。トニセンの曲をCDで聞きたいような聞きたくないような不思議な感覚になっている。それぞれの曲に与えられた舞台でのイメージをまだもう少し壊さずに持っていたい。
実をいうと、トニセン3人の舞台と聞いたときに、トニコンのコントが1番初めにイメージとして浮かんだ。トニセンがトニセンとしてわちゃわちゃ楽しそうにしているイメージ。けれど、私は舞台に立つ以上純粋にエンターテイメントとして面白いものを見せてほしいと思っていた。実際観劇して、私の夢が完璧な形で実現したことに驚きが隠せないし、こんな素晴らしい舞台を作り上げてくれたことに心の底から感謝している。
とりあえず、内容を確認するためと、演技や歌を楽しむためと、魂に刻み込むために、あと3回は見たい。何回だって見たい。ずっと見ていたい舞台でした!!!!!!!トニセン大好き!!!!!!
観劇から二日間ぶっ通しで、勢いのみでこの感想を書き上げました。パッションだけはあります。というかパッションのみの感想です。練度は最低限の解釈なので、そう感じるた奴もいるのかぁくらいで読んでいただけたら幸いです。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。
アイドルが結婚した日
アイドルを好きになって一年ちょっとの私が衝撃の日に思ったことを残しておこうと思います。
私は生まれて初めてアイドルが結婚した日を目の当たりにした。
いや、おそらく情報としては熱愛やら結婚やら見ていたかもしれないのだけど、肌で触れたのは今日が初めてだった。これまでほとんど芸能に興味を持たずに生きてきて、アイドルを好きになってから色々なカルチャーショックを覚え続けていたけれど、今日もまたそんな一日だった。
TLに溢れる様々な言葉、想い。
とにかくすごい熱量だった。
笑う人、泣く人、色んな人がいたように思うが、みんなひどく興奮していた。私自身、寝起きにTLを見た途端奇声を発しながら飛び起きたし、お知らせを受け取った時も無意識のうちになにか叫んでいた。なんて叫んだかは覚えていない。
アイドルという存在はこんなにも人の心を揺さぶるものなのか。
一言で乱暴に言ってしまえば、ファンはアイドルに『恋』していて、『失恋』したということなのだと思う。
私はアイドルである、彼らをこんなにも身近に感じていて、彼らからこんなにも大切に思われたくて、彼らを自分が幸せにしたいと思っているだなんて、少しも気付いていなかった。けれど、やっぱり私はそんな風に願っていて、それはつまり彼らに恋しているということなんだろう。
これまでの私にとって好きな芸能人の結婚とは、親戚のハレごとに等しい認識だったから、どんちゃん騒ぎして喜ぶ日だったけれど、TLは決してそれだけではなかった。
それぞれの人が、厳かにもしくは慟哭しながら、だけどどの人も真摯にその報告に向き合っていた。他人事なんかじゃなく、自分自身の一大事として今日の出来事があった。
話したこともないような存在にそんな熱を上げるなんて、とV6にハマるまで思っていた。
けれど、今日改めて思ったことがある。
これほどまでにアイドルに入れこめるのは、それほどまでにアイドルがファンに『夢』を見させてくれるからだ。それも生半可なものじゃない、それこそ彼らの人生のほとんどをかけて見せてくれる『夢』だ。
身近な存在として振舞ってくれて、ファンを大切に思ってくれて、君たちのおかげで今があるって言ってくれるから、私は彼らに『恋』が出来る。
投げ出したくなることも嫌になることもあるだろう。吐きたい弱音や怒りもあると思う。諦めた彼ら自身の幸せだって数え切れないくらいあるはずだ。
それでも、彼らはファンにそんな姿は見せることなく『夢』を与えてくれた。
そんな風に情熱的に誠実に振る舞われたら、夢だけじゃない、その人自身を好きになってしまうに決まっている。彼ら自身の人生の幸せを願いたくなる。
だからこそ、ほんのかけら見せてくれたアイドルじゃない姿にこんなにも寂しさと嬉しさ両方を感じてしまうんだろう。彼らに『恋』をしているから、彼らに幸せになってほしいから。
今回長野くんは、人生の大きな決断を1番初めにファンに報告したいと日付指定でお知らせを送ってからその後で報道関係に報告して、生放送でその日のうちに生の言葉を聞かせてくれた。
彼が自担じゃなかったから、私の心が彼の幸せを願う方に振れていたこともあって、その誠実さにますます『好き』に拍車がかかった。
これが自担となったときには、きっと私は『失恋』して、しばらく泣き暮らすんだろう。ご飯も食べれなくなって、顔を見るだけでも胸が痛むんだろうなと思う。『恋してる』から。大好きだから幸せを喜びたいと思いながら、祝えない自分に葛藤するに違いない。
あぁ、なんて罪な人たちなんだろう!
メンバーが祝福してるところを見れたのよかったなぁ。
何かとメンバーを持ち上げたいV6から始まり、それぞれ個性溢れるコメントして、ずっとソワソワドキドキして、本当に心が忙しかった。
坂本くんは付き合いの長さを話題にしてその感慨深さを滲ませてたし、イノッチはわざと司会者トーンで笑いを誘ってたし、剛くんはやっぱり照れて台詞みたいなコメントだったし、健ちゃんは寂しさアピールぶっ込んでくれたし、オカダは「メンバーの幸せが僕らの幸せ」ってド正論かましてくれたし。
他のグループのみなさんもお祝いしてくださって本当に嬉しかったです。お花もらってコメントもらって胴上げまでしてもらって。すごいよ長野くんの愛されっぷり。
おそらく星野源さんのお休み(爆発的に多忙だと思いますのでどうかご自愛ください!)の結果、尺が余ってできた演出だと勝手に思ってるけれども、どのような思惑があったにせよ、そもそも長野くんをお祝いしようという気持ちを多くの関係者が持ってくれなければ実現しない光景だったと思うので。
みんなに囲まれた長野くんが嬉しそうに笑いながら、ちょっと目を潤ませてたのがすごく印象に残っている。
長野博さん、ご結婚おめでとうございます!!!
末長くお幸せに!!!
V6の踊っている割合とわちゃわちゃについて
V621周年おめでとうございます〜!
けど、デビュー日とは全然関係ない内容です。すいません。
愛だけはあります!
諸君 私は踊っている彼らが好きだ
諸君 私はわちゃわちゃしている彼らが好きだ
諸君 私はV6が大好きだ
ぶいしっ!ぶいしっ!ぶいしっ!
よろしい ならばコンサートだ
ということで、隙あらば踊り気がつけばケツを触ってるおじさんに落とされたオタクは、落ちてからというもの、毎日欠かさず何かしらのV6映像を見て過ごしてまいりました。
コンサート映像に浸り、踊り狂い楽し気にケツを追う彼らに癒される日々。そんな中、とある疑問がふとわいてきます。
この人たち、いろいろ衰えないな・・・?てか、最近の方が踊ってるし、わちゃわちゃしているのでは・・・?
20周年のお祭り期間に落ちた新規で、コンサート映像を入手したのも時系列ではなかったため、彼らのこれまでの空気の変化を肌では知らない。
ならば、調べてみようではないか!と思い立ちこんな記事を書くに至ったわけであります。(ここまで前置き)
対象は2015年,2013年,2011年,2010年,2008年の近年5作品(トニカミコンは6人揃ってないので除外)
踊ってる割合とわちゃわちゃしている回数とその指向性を調べてみました。
調査方法は「ひたすらコンサート映像を見てその回数を数える」です。考察する思考力も過去の発言など情報収集能力もなかったため、とりあえずデータ化してみた笑
踊っている割合については、お手振りなどファンサがない踊りっぱなしの曲、ファンサもするけどフォーメンションチェンジなど含むしっかりと踊っている曲、お手振りやその場で歌うだけの曲と項目に分けてカウントし割合を算出しました。主観に基づいた判断で、多少基準がぶれていることもあるかもしれませんが、ご了承ください。
わちゃわちゃについては、接触回数と誰が誰に仕掛けたのかをカウントしました。
データを並べたものを眺めるのが好きな性癖の私だけが楽しい調査かもしれませんが、よろしければお付き合いください!
- LIVE TOUR 2015 -SINCE 1995~FOREVER-
踊ってる 57.1%(全部踊ってる 34.7%)
お手振りのみ 42.9%
1/3ガチで踊り狂ってるってどういうこと。コンサートの半分以上踊ってるという止まったら死んじゃうマグロのような構成にゾクゾクします。
仕掛けた順位
1位 岡田 23回(うち7回が→長野三宅)
2位 森田 10回
2位 三宅 10回
仕掛けられた順位
1位 井ノ原 13回(うち4回が←岡田)
2位 長野 11回
2位 三宅 11回
2位 岡田 11回
「岡田どうしちゃったんだよ」と言われるのも納得の進撃のオカダ笑
めちゃめちゃお兄ちゃんたちにじゃれついてます。
- V6 live tour 2013 Oh! My! Goodness!
踊ってる 63.3%(全部踊ってる 43.3%)
お手振りのみ 36.7%
まさかのダンス曲63%、そのうちガチダンス曲が驚異の43%!!!調べた5作品の中で最も踊っている割合が高いコンサートでした。
仕掛けた順位
1位 岡田 8回(うち3回が→三宅)
2位 三宅 5回
3位 長野 4回
3位 森田 4回
仕掛けられた順位
1位 長野 7回(うち4回が←森田)
2位 井ノ原 5回
3位 三宅 4回
3位 岡田 4回
剛くんの仕掛けた回数4回がすべて対長野くんなのが意外というか案の定というか感慨深い結果でした。
- V6 live tour 2011 Sexy.Honey.Bunny!
踊ってる 52.9%(全部踊ってる 41.2%)
お手振りのみ 47.1%
センステのみというセットで、移動も含めてダンスみたいな。俯瞰で見てこそ醍醐味を感じられるフォーメンションが多い印象。
仕掛けた順位
1位 三宅 4回(うち2回が→岡田)
1位 長野 4回
2位 岡田 3回
仕掛けられた順位
1位 長野 4回(うち2回が←井ノ原)
1位 岡田 4回(うち2回が←三宅)
2位 三宅 3回
総接触数が一番少なかったセクバニコン。会場全体に散らばるフォーメンションが多かったからなのか。
ヒゲ行信者の私は坂本くんにみんなもっとかまってよ・・となりました。
- V6 ASIA TOUR 2010 in JAPAN READY?
踊ってる 52.5%(全部踊ってる 40.0%)
お手振りのみ 47.5%
冒頭のTAKE ME HIGHERのアクロバット、締めのMFTPでの台宙は何度見てもいい。レジェンドと呼ばせてください。
仕掛けた順位
1位 岡田 8回(うち3回が→井ノ原)
2位 井ノ原 5回
2位 三宅 5回
仕掛けられた順位
1位 岡田 7回(うち3回が←井ノ原)
2位 長野 6回
3位 井ノ原 5回
RADIO MAGICは画面三分割なんてされちゃったりして本当に目が足りないってなる。
アニバコンではカミ→坂本くんの接触が増える傾向にあります。
- V6 LIVE TOUR 2008 VIBES
踊ってる 38.2%(全部踊ってる 29.4%)
お手振りのみ 61.8%
便宜上お手振りのみにカウントされていますが、このコンサートでは映像とのコラボが多かったです。
仕掛けた順位
1位 岡田 8回(うち4回が→三宅)
2位 井ノ原 7回
3位 森田 6回
3位 三宅 6回
仕掛けられた順位
1位 岡田 8回(うち3回が←三宅)
2位 井ノ原 7回
2位 三宅 7回
トニング同士カミング同士のわちゃわちゃが印象的でした。3人で集まるとそれぞれ6人の時とはまた違った空気になりますね。
この調査のまとめとしましては、感じていた通り最近の方が踊っているし、わちゃわちゃしているという結論に達しました。やっぱり!
それ以上にこの調査で、やっぱりV6最高!!って盲点にも近い気付きがありました。
いや、V6が最高ってことはもちろん毎日噛み締めて生きてますけど!そうじゃなくて!
普段コンサート映像見るとき、好きな曲ばかり繰り返したり飛ばして見たりすることが多かったんですが、この調査のために通しで見てたくさんの新たな気付きがありました。そんな好きじゃないなと思っていた曲を改めてじっくり聞くとすごくいいなって思ったり、このセトリ神じゃないかと感動したり。
また時間があるときにでも、みなさんも一つのコンサートを通しで見たり普段聞かない曲も見てみてください。きっとどの瞬間のV6も最高じゃないか!と感じていただけると思います!!
ここまでお読みいただきありがとうございました!!
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『ビニールの城』を見て、感じ想ったこと
8/15昼公演に行ってきたぜ!『ビニールの城』!!
蜷川演出になるはずだった今回の舞台。残念ながら、あと一歩間に合わなかったけれど、お盆だしきっと客席から蜷川さんが見守っていたんじゃないかな。
演出の金守珍が語るように、唐十郎の世界を表す完璧なキャスティングのなかに蜷川幸雄が息づいている。
まるで白昼夢のような舞台だった。
実際の行動を演じているというよりは、思考の具現化としての演技という印象を受けた。
アングラの世界にこれまで触れたことがなかったので、そのような舞台はとても衝撃的だった。
V6を好きになって、彼らの個人のお仕事も見るようになって、自分の中になかった世界に飛び込むことが増えた。自分の世界がどんどん広がっていくのがとても面白い。
なんて豪華な舞台なんだろう。こんな贅沢があっていいのか。私、『あの』ビニールの城を見てきたんだぜ。
この舞台で、まず一番はじめに衝撃的だったのは、お話しがわからないこと(笑)
「どんな舞台を見てきたの」と聞かれて起承転結が説明できない。事前に台本を読んではいたけど、その時もどんなストーリーなのかほとんど掴めなかった。
ただ、観劇してわかったのは、この舞台の面白味は台詞が持つリズムや音の美しさを楽しむことにあるということ。
目で、頭の中で台詞を追っていた時は上滑りしていった言葉が、実際の生身の人間が発する音になることで、すんなりと沁みた。観念を超えるリアルな現実に触れるというのは、劇のなかで視点を変えて述べられていたと思うけれど、この衝撃と感動は本当にすごい。
まず、感じた感激を忘れないうちに、なんの咀嚼もしないままの感想を残しておきたい。
朝顔の少年性にクラクラきた。
冒頭現れるのは、他者を受け入れられず、自己もまだ育っていない朝顔。唯一心の中に存在するのは、夕顔という自分の半身だけで、その夕顔と別れてしまった朝顔は、不安定で、孤独で、独りよがりで、まるで思春期の少年のようだ。その未完成さがたまらなく私を惹きつける。
朝顔はとても純粋で、自分の価値観を大切にしている人間なんだろう。劇の途中で、持論を語る朝顔の純粋ゆえの潔癖さ、強情さ、面倒くささがとてもよかった。
そんな朝顔が徐々に変わっていく、本来自分の中に芽生えていたものに気付いていく姿に心が震える。
モモは多面的な女性だった。
そんな彼女に本当終始振り回された。けど、それが快感なんだよ、あのひとに振り回されるなら本望ってくらい何故か魅了される。不思議だ。
処女のように純情で、娼婦の艶めかしさを持つ。子どもの無邪気さで人を傷つけ自分の感情に素直なのに、くたびれた大人のごとく厭世的で自分の幸せを掴もうと手を伸ばせない。
遠いところからきた女だから、ビニ本の中の空想の女だから、これほど魅力的に思えるんだろうか。
夕一の切なさは愛の残酷さからきていると思う。
モモに愛されたい夕一は、モモが求める姿に、つまり朝顔の半身である「夕ちゃん」になろうと懸命に努力する。それは、モモのために献身するようにも見えるけれど、やはり愛されたいというエゴだ。常軌を逸しているその姿は、それほどまでに愛されたいという切実な訴えで。なのに、夕一はモモには愛されない。
朝顔が現れたことで、モモに愛されないという現実の中に生きなければならなくなった夕一は、ある意味一番地に足がついているキャラクターだった気がする。
ひとまず感じたままの感想はこんな感じ。
人生の歯車がうまくかみ合わない、もどかしい現実が描かれていた印象。そのもどかしさがリアルなんだけど、それを詩のような抽象的な演出で表現されていることが、また面白かった。
話は変わって、ナマの俳優さんの話。
私が朝顔にここまで少年性を感じたのは、ひとえに朝顔を森田剛が演じていたからだと声を大にして言いたい。
サイズ感や声色も大いに影響していると思うんだけど、なによりその全身から漂っている疎外感がすごくいい!パンフレットで宮沢りえも言っていたけれど、その美しい陰が朝顔の少年らしい儚さをひときわ際立たせていている。
あと高めで甘い声が連日の舞台からかすこし枯れてて、そのアンバランスさがそのまま朝顔の中の少年と大人のアンバランスさに繋がっていて、とてもよかった。
この役を、少年や青年の域を出ない俳優が演じれば、ここまでの危うさは出せなかったと思う。朝顔は少年性を抱いている大人だからこそのアンバランスさを持つキャラだ。まだ若い俳優なら少年側に振り切ってしまって危うさがでない。それじゃ駄目なんだ!「成長していない」ことが肝なんだから。身贔屓かもしれないけれど、森田剛だからこそ演じられた朝顔だったと思う。
宮沢りえのモモは怪演だった。
モモの持つ多面性を破たんさせずに一人の人物として演じきった姿は鳥肌ものだ。声や顔や体つきなど、表面はどこまでも透明感のある少女なのに、仕草など醸し出す雰囲気が妖艶で。そのギャップは、その深みは宮沢りえにしか出せないんだろうなとため息。ビニールの中に帰っていく宮沢りえは、世間の荒波に翻弄される家出少女のような無力さと汚される清らかさがあって、けれどしな垂れながらポーズをとるあの爛れた色気はなんなんだろう。本当なんなんだろう。宮沢りえにだったら喜んで振り回されたい。
荒川良々が演じる夕一はこちらの先入観を気持ちよく裏切ってくれた。
コミカルな見た目な荒川良々だからこそ、夕一が言う台詞がより現実的に際立って響いたんだと思う。道化のポジジョンにいるようで、ひとつひとつを切り取れば思わず笑ってしまうシーンが数多くあったけれど、ふいに発せられる覚めた台詞が切ない。そういう意味でも夕一は真理をつく道化なのかもしれない。荒川良々の人畜無害っぽいフォルムなのに、ハイライトが入ってない感じの目っていう一点だけ滲むが暗さがいいね。ぴったり。
物語やメッセージについてはわからないことだらけ。
夕顔とはどんな存在だったのか。モモはなぜ朝顔のもとから去ったのか。水と相性になるとはどういうことか。ビニールの城とはなんのか。引田や河合は何者だったのか。腹話術師の三人組とは、民衆とは、諸君とは。
数々の疑問についてはまた少しずつ考えていくことにして。
頭の中で描く世界は無限で理想も描けるけれど、ナマの、現実の存在にはそれを覆すだけのエネルギーがあるんだなと、物語からも、演者からも感じた舞台だった。いやー、面白かった。
【ほとんど自信のない覚書】
放心状態だったから、本当に本当に自信がないけど
カーテンコールは4回半?
全員、全員、全員(宮沢が夕顔を抱きながら)、メイン3人、森田が1人で下手で軽くお辞儀
観劇
笠井アナは見た、須賀健太くんもいた模様
【ヒメアノ~ルネタバレ】ラストシーンは救いだったのか【みんな映画館に行こう!】
..何故、僕が原作漫画ヒメアノ~ルが
生涯ベストかと申しますと、この漫画のテーマが
「反社会性人格障害者の悲哀」を描いた作品だからです
快楽殺人鬼の森田は人の首を絞めて殺す
ことにしか生きる意欲が待てない人間です
彼は何故そんなサイコキラーなのかは?
原作では「先天的なもの」として描かれています
つまり生まれた時から彼はそういう人間だと決まっていたのです(中略)人それぞれ顔の形が違うように、脳の形もそれぞれ違う
その脳の造形が性格や趣味趣向に影響するのなら
それは身体的特徴の一部ではないでしょうか
近代的な社会はそういった人それぞれの違いを理解し合い
助け合うことを理想としています
しかし、森田のような快楽殺人鬼に近代社会が
差し伸べる手はあるのでしょうか?(中略)いや、僕は偶然にも快楽殺人鬼ではありませんでしたけど
人との違いに悩んだことがある人ならそれが快楽殺人じゃなくても
理解できる部分もあるんじゃないでしょうか
「別に俺が選んでこうなったわじゃないんだけどね」
っていう生まれ持った性についてです
この世で最も、誰も同情し得ない最低のクズ野郎に
古谷先生だけは空也上人像のように寄り添ったのです
完璧な情報量で映画『ヒメアノール』について語っておられるので、ぜひ全文にも目を通していただきたい。諫山先生のブログのリンクを貼っておきますね!
原作では森田の内面部分をかなり描いているのですが、それは映画的ではないと思ったし、それを中途半端に語ってしまうと、殺人犯を擁護してしまうものになってしまう恐れもある。(中略)原作との大きな違いは、森田を突き放して、ある程度の距離感をとったことです。
LIVE TOUR 2015 -SINCE 1995~FOREVER-完全密着ドキュメント備忘録
フォエバコン円盤が発売されてから、気が付けばもう2ヶ月も経ったんですね!
ほぼ毎日本編やら特典やら見ててまだ存分に楽しんでるので、そんな気がいたしませんが時の流れとは早いものです。
さて、タイトルにもあるようにこの記事は完全密着ドキュメント備忘録です。
いつどこの舞台裏でどんなエピソードがあったのか、見返す用リストのつもりでこの記事は書きました。
ほぼ一言メモとメンバーの発言の書き起こしという不親切設計で、また私が見返したいポイント中心でピックアップしたため内容に偏りがございます。ご容赦ください。
特典を持っておられない方、この記事だけでは彼らの魅力の6000000万分の一も伝わらないと思うので、特典がついてる円盤を是非買ってから読んでください!絶対損はしないから!!ね!!
LIVE TOUR 2015 -SINCE 1995~FOREVER-(DVD4枚組)(初回生産限定盤A)
- 出版社/メーカー: avex trax
- 発売日: 2016/02/17
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